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寄稿論文


[主観と客観の使い分け]


データを読んで分析し解釈して、報告書の文章を書いているといつも不安になる。データから得られることのみを淡々と書 いていれば、間違ったことを書く気遣いはないが、読む人には無味乾燥で少しも面白くない。それより数表かグラフを眺め ていたほうがずっと的確であるし役に立つ。といって、自分なりの判断でもっともらしく意味付けし、読む人の気を引くよ うなことを書くのは、データを誤って解釈し事実を曲げて伝えるおそれがある。
データが指すところと分析者の判断がピタリと一致したところは「何々である」と断定的に記述し、あまり自信のないところ は「何々と思われる」とする。自分が「そう思う」のであるとしないで「思われる」と主語をぼかしてしまうのである。反論 されそうなときは「とも思われる」として逃げ道を作る。それもイヤなときは「何々のように見える」とか表現すると、そう 見えるけど「見かけだけかもしれない」という言外の意味まで含んでくれて、さらに安心である。
いったい分析結果の表現はいかにあるべきなのか、本論文がこのような分析者の悩みに多少なりと答えることができれば幸いで ある。

 1 データのみに語らしめよ
「データのみに語らしめよ」という言葉がある。これを私たちの仕事に適用すれば、調査データをもととして報告書を作るとき 、数字が語ってくれること、訴えることをそのまま書き連ねればよいということだろうか。いや数字はそのままでは沈黙してい るだけだから、そこから何とかして意味を引き出さなければならない。その技術が「語らしめよ」であると解釈しよう。
ただその際、分析者の主観で都合のよいように数字に勝手な意味をこじつけてはいけない。もっと厳密に言えば、一切の主観、 先入観、事前の知識、情報、想像、憶測などなどを寄せ付けず、事実として確証できるもの以外をすべて拒絶して、淡々と数字 に向かい合い、数字の語るところにとぎすました耳を傾けようというのである。(注1)
この主張を統計学が教えるような形ですすめていくと、データ間に差が出てそれに意味付けしたいとしたら、まず「有意差検定」 を行って、有意と出たら意味付けをしてよいし、有意と出なかったらデータ間の差は誤差とみなして、意味付けしてはいけないと いうことになる。
しかし私たちの周辺を見渡したところ、報告書を書くに当たって、いちいち有意差があることを確認してから、データをどう説明 するか考える人は皆無と思われる。逆にデータに説明をつけてから心配になって有意差検定をしてみるという、用心深い人はいるか もしれないが、ごく少数派であろう。
ただ製品テストで、製品AとBとどちらがすぐれているかを知りたいときは、有意差検定を行うのが常識となっている。パッケージ テスト、ネーミングテストなどでも同様である。ということは消費者の行動意識をとらえるという実態データと、テストあるいは 実験のような意図的データとでは、データの取扱いが違うということなのだろうか。(注2)

 2 感性のこもったデータ
「感性のこもったデータを」という言葉は、かつての当社社長武田氏(故)が好んでよく使っていた。もちろんデータには感性も何 もないから、分析者の感性を問う言葉である。交通事故の死亡者数はそれ自体ただの数字である。しかし親しい人をそれで失ってい れば、ただの数字として見ることには耐えがたい。もっと広くいえば、自分と関係のあることがデータで表されていれば、なにがし かの感慨をもって数字を受けとめるのは当然である。
私たちに求められているのは、どちらかといわれれば、統計学による理論の厳密さよりも、マーケティング的な感性の豊かさではなか ろうか。結論を急ぐつもりはないが、もしそうだとすればいかにしてデータとマーケティング的感性を結び付けるかが新しい課題となる。
さてあまり理屈をこねることは読者を飽きさせるだけである。このへんで私のささやかな試みを紹介しよう。与えられたわずかの数字 を素材にして、可能なかぎりの主観、想像、憶測を駆使し、豊かな感性のおもむくままに、自分なりのバーチャルな仮想世界を繰り広 げるのである。私はこの方法を「シナリオイメージ法」などと勝手な名前を付けて、かなり以前だが、ある飲料メーカーの関係者の集 会で発表したことがある。1週間の飲物記録調査から選んだある対象者の、わずかな個票データから、その対象者の飲物習慣・環境に ついてその詳細を想像してみようというのが、この手法の課題、目的である。当時の発表の中から一、二の例を拾って以下にお目にかけ たい。

シナリオイメージ法(缶コーヒー1週間の記録より)

事例1…40歳男性、勤め人 京浜
◇データ:この1週間飲んだのは12回、休日を除いて毎日午前、午後1本ずつ社内で飲む。
  自販機購入、銘柄Gのみ

◆毎日、会社の中で缶コーヒーを飲むのである。想像するに、この男性は外歩きしない仕事のようだ。会社員だとしたらおそらく、庶務 関係の部署だろう。一日中座り通し、終わればさっさと帰宅、定期便みたいな毎日なのである。
仕事の合間に、缶コーヒーを社内自販機で買って飲むのがいつのまにか判で押したようになっている。たぶんタバコをやめてからの習慣 のような気がするのだが。
ところでなぜ同じ銘柄だけ飲むのかって?それに決めているなんて信念の次元の話ではなく、つまりは社内設置の機械がG社のだからだ。
たまに女子社員がどんな風の吹き回しか、後ろ手に隠すように持ってきて、「はい、課長さん、これでしょ」とデスクの上にぽんと置くの に、ニャニヤして内心大満足。
アルコールはダメ、缶コーヒーにささやかな日々のゆとりを味わっているというところだろうか。

事例2…38歳女性、主婦専業、京阪神
◇データ:この1週間、飲んだのは15回、自宅が多く、友人宅は内3回、銘柄Uのみ。
  すべて自販機機購入

◆夫や子供を送り出し、掃除、洗濯もすんで一息つくと、
「なんか社会性のあるいい仕事あらへんかな」などと独り言いって新聞の求人欄を見わたしたりするが、たいしてその気も ないようだ。
銘柄Uの「里美アンドU…」のCMが気に入っている。そのうちテレビも飽きてくる。ひとりでコーヒーいれるのも味気ない。たい てい散歩がてら近所の自販機に缶コーヒーを買いに行くのだが、そのまま足をのばして、近くに住む同郷の友人宅に顔を出した りもする。
「ねえ、近ごろ宣伝しているあれ、Gとかって、飲みはった?」「あらへん、どんな味やろ」
窓辺のソファで、女二人、午後の陽だまりに缶コーヒーを傾ける。

真面目な方々からは数字の歪曲とのそしりを受けそうだが、もちろん冗談にも、この手法を報告書作りにそのまま適用しようとい うわけではない。私としては、調査業務にあっても、豊かな感性やすぐれた発想力が必要であり、それを身に付けるための訓練に、 このシナリオイメージ法が使えないかと思いついたにすぎない。
現実の業務の場において、あるテーマを引き受けたリサーチャーが、クライアントから得られたわずかのヒントをもとに、すばらし い発想ができるとしたなら、それが調査企画の段階で生かされればやはりすばらしい企画書ができそうだし、調査票作りの段階で生 かされればすばらしい調査票が得られそうだと思ったからである。

 3 主観と客観の折衷
ところでこの小論に「主観と客観」というタイトルを掲げたのは、そのどちらも私たちの業務において大切であるから、その折衷をど うしようかという問題提起としてである。冒頭の、事実として得られた数字だけで、すべてを論証しようとする厳正すぎる態度も、ま た反対に、限りない発想といえば聞こえはよいが、単なる空想あるいはウソ語に陥りかねない後者の手法も、どちらもどちらで極端に すぎる。
われわれが学んだ統計学では、度数分布、平均、分散、相関、回帰、有意差検定(以下、検定と略記)などなど、いずれの用語もキチ ンと定義されていて、どう見ても主観の入る余地などなさそうだ。
有意差検定ではデータAとBの大小関係については予断を許さず、A=Bという仮説を立てる。そして得られたデータを用いて検定の計算 を行う。その結果として仮説が棄却されたなら、A>Bまたは'A<Bとする。仮説が棄却されないときは仮説A=Bの正否を保留とする。こ れら一連の手続きは、まさに「数字にのみ語らせよ」そのものである。
しかし現実にはどうか。既に述べたように、報告書作成に当たって、すべてのデータをいちいち検定してから用いているリサーチャーは いないし、データを解釈するのにまったく主観を排してという者も見たことがない。
これから半ば私論になるが、私は事前の予想通りの結果が出れば検定は必要なし、というルールを作ってみた。(注3)

データの意味付けに関するルール

ルール@:事前知識通りにデータが出た→検定は不要。「…である」「…が確かめられた」とする。
       データ差があまり大きくないときは「…と思われる」などと主観の色合いをこくする。
ルールA:事前知識とデータが反対になった→検定を行って有意であれば「意外にも…」などとする。
ルールB:事前知識がない→すべて検定を行う。有意であれば意味付けをして「…であることが示された」
       などとする。

最初の@では検定なしで、事前知識に対する信念はデータ差の大きさの分だけ補強されたものとみなしてよい。しかしルールAでは事前 知識と反対の結果が出たら検定を行うべしとする。その結果が有意と出れば事前知識を改める。Bではすべて検定を行ってその結果に従 う。

このルールはそう面倒なものではない。分析者はデータ表をめくって行き、予想通りの結果が示されたなら「うむうむ」と確信をもって読 み進んでいけばよい。あまり差がないデータについては読み飛ばしていく。たまに反対の結果が出ていて有意差がありそうだったら「待て よ」と検定してみる。その通りだったら論より証拠、事前知識について検討しなおす。
有意差検定は、いちいち計算しなくとも、パーセントの差の検定については「有意差早見表(ただし異なる集団間の差)」を安直に利用で きる。(注4)
ここに、同じデータを与えられて書いた二人の報告書があるとする。一方は充分な事前知識を持っているので、ルール@によって生き々々と した分析ができ、有用な結論への明快な筋道を示すことができよう。事前知識を持たないもう片方は、ルールBにしばられるので、有意差が なければ何もいえない。大きい差のある箇所に触れるだけの虫食い記述、そのようにはっきりと差がつくのが見られよう。
ここで、事前知識という言葉はあくまでデータを見る前にすでに持っていた知識であって、データを見てから考えだした説明や理屈ではない 。検定の結果、有意差があることがわかった後の意味付けとははっきり区別する必要がある。
だいぶ以前に出版されたある調査専門書に次のような余談が載っていた。調査結果を分析していた生徒が
「失業者ほど読書時間が長いという結果が出ました」
と先生に報告した。先生がいうには
「そうだろう、時間はいくらでもあるからな」
しばらくして、生徒ふたたびやってきて
「あれは集計ミスでした、結果は反対です」
先生「おかしいと思った、仕事もなくて本など読んでいられるか」
日頃、充分な知識を得るための努力も勉強もしていると見えないのに、データがどちらに転ぼうとうまく説明してやると、変な自信を持って いる人がいる。これはその場かぎりの「後付け理由」または「へ理屈」といって、私たち調査屋の戒しむべきことの一つである。

 4 事前知識はどのような形で求めるか
これまで事前知識と言ってきたものは、断片的なデータごとの意味付けではないことを断っておく。A>Bならこう説明する、C>Dならこう説明する ではなく、それらを総合しての体系的な説明が望まれる。異なるデータ間の説明に矛盾があってはいけない。
よく見掛ける報告書のスタイルに、それぞれの中でデータ、グラフ、説明、結論などを完結させるというのがある。その中だけで理屈が通ればよい ことにすると、項目間の整合性を無視して、前出の先生の例のように「こう出ればああ言う」「ああ出ればこう言う」の「へ理屈」が幅を利かせる ことになりやすい。
調査票の質問項目順に従って報告書を編集することは、データの検索に便利であるので望ましい。ただ各項目を「小見出し」とすると、その中では デ一夕を概観して大小関係などに触れるにとどめて、分析は関係項目を一くくりにした「中見出し」で行うのがいい。そして、結論提案(分析者の意見) は報告書一本で行うべきである。
項目ごとに例えば「CM想起率が中年層より若年層が低い。もっと若者向きのCMにすべきである」などと反射的短絡的に意見を書いているのは、もって のほかである。「AがないからAが必要だ」というのはコインの裏返しにすぎない。報告書を入念に読もうとする人にとってはなはだ迷惑だ。(注5)

 5 仮設の設定が必要となる
賢明なる読者はすでに察知されているであろうが、事前知識の構築と言うのは「仮説の設定」に他ならない。仮説の設定の多くは、過去に蓄積された データの分析あるいは考察によって可能であるが、新しい知識の取り入れが必要な場合は、そのためにグループインタビューなどの定性調査に依存する のが一般的である。次図はふつう行われている調査の種類とその役割を示すものである。(注6)

 市場調査の種類とその関係


この内容についてややこまかに述べれば次のようである。
@仮説設定型: この段階では数量的な要素は望まないので、定性調査が向いている。 例えば「ある商品の売れ行き不振の原因はどうも要因Aらしい」という仮説を対象者の回答から引き出す。
A仮説検証型: 設定された仮説を数量データで検証することを目的とする。これは周到に準備された調査設計および分析によって可能となる。
B実態記録型: ある商品の販売額シェアやユーザー評価などのようなデータそのものを知ることを目的とする。 従って分析というより「測定」と見るべきであろう。クライアントから求められれば標本誤差の計算が必要となる。
Cそ の 他 : すべての調査が「問題発見型」になり得る。しかし「問題解決型」の調査はその目的のためにのみ設計されなければならない。

以上で、仮説を設定するという作業は、内容の豊富な高い分析レベルの報告書を作成するために必要であることを納得されたと思う。
仮説を設定しない場合や仮説が単なる思い付きで貧弱な場合は、写真撮影に例えれば何にピントを合わせてよいかわからなくて、何もかも取り込ん だだけのぼやけた写真になってしまうのと同じである。
そういう調査はあれもこれもとやたらに質問のボリュームばかりが多く、その分報告書のぺ一ジ数もふえて分厚いものとなるが、開いてみると役に立ち そうなことはあまり書いていない。
このことは結論および提言の部分を読んでみればすぐ分かる。分析に必要な情報が的確に得られないことと、その情報の掘り下げ深度の浅いことの二 重の理由により、労多くして報われるところはさほど多くないのである。

 6 結び
個々のデータの解釈のみでなく全体としての総合的な「結論」は、問題発見型リサーチで必要であり、さらに何らかの「提言」は問題解決型リサーチで 絶対に必要である。提言に関する限り、知識経験、発想力、洞察力、説得力がものをいう世界であることは言うまでもない。
ふつうのリサーチャーがそこまで踏み込むことは難しいと思うが、恐れることはない。クライアントが持つ知識経験と張り合うのでなく、データ解析の論 理性と各種業界を通じて体得した普遍性を念頭において、リサーチャーは自らの全力を傾注すればよい。賢明なるクライアントの多くは、率直に「調査屋 さんの立場からの提言」を求めているのである。


(注1) 実は統計的方法にはいくつかのアプローチがあって、ふつう用いられているのは「ネイマン・ピアソン流」 あるいは「フィッシャー流」の統計学である。これらは伝統的に分析者の主観をまったく排して、 まさに「数字のみに語らしめよ」というA=Bの帰無仮説の思想を基礎としている。
これに対して、データの持つ情報の他に、事前知識についての確信の度合いを「主観確率」として定義づけることによって、 その推論の中に組み込んでいるのが「ベイズ統計学」である。
本論文の一部はこのベイズ流の考え方を、こまかなところは無視して単純化したものに従っている。 ほとんどのリサーチャーは報告書を書くとき、自分では知らないうちに、ネイマン・ピアソンなどの統計学でなく、曲がりなりにもベイズ統計学の路線に従っているように思われる。
(注2) 製品テストの場合、社内で決められたテスト数(n)のもとで有意差が出なければ、製品間の評価差は無視するという、 事前の取り決めすなわちルールがあるものとみなせば、検定の必要性が認識できる。
(注3) 市場調査べーシック「情報と知識と検定」108ぺージ参照
(注4) 市場調査マニュアル「有意差早見表」247−250ぺージ参照
(注5) 東洋経済出版社「ロジカル・シンキング」2001
(注6) 市場調査べーシック「市場調査の分類」11−12ぺ一ジ参照


寄稿 (株)マーケティング・リサーチ・サービス元顧問 後藤 秀夫氏


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